クンドゥース 11月15日
マザールシャリフからウズベキスタン国境まではバスで200アフガニ。
アフガニスタンのビザは明日で切れるから、もう出国しなくちゃいけなかった。
バスはいつのまにか砂漠を走ってて、国境は砂漠のむこうにあった。
国境の街はハイラタンっていう。
街っていうより村っていうほうが正しいかも…
その村は静かできれいでふつうの美しいちいさな村で…つまり活気がなかった。
国境なのに人がいないんだ…?
パキスタンとアフガニスタンの国境の街トルハムはびっくりするほど人でごった返してたのに…国境を越えるときもぎゅうぎゅうにぶつかりながら狭い通路を進んでったっけ。
人がすくなすぎて、なんかイヤな予感がした。
国境のオフィスに行くとタリバン兵がヒマそうにしてる。
話しかけるとウズベキスタン側が封鎖してるかもしれないって、いちおう通れるか確認してきてほしいって言われた。
もどってこれなくなるから、出国のスタンプは確認が取れるまで押せないって…
この国境通れないんじゃないの…だから人がいないんだね…
それでもウズベキスタンの国境の人をごり押しで説得すればなんとかなるかも?
オフィスを出るとタクシーが止まってる。
ウズベキスタン国境まで50パキスタニーだって。
なんか違和感を感じたけど乗らなきゃダメなのかもって乗ったしまった。
違和感は的中、タクシーは100mほど走って国境線についた。
あー…歩いていけばよかったw
国境は長い巨大な橋だった。
アフガニスタンとウズベキスタンの間にはアムダリヤ川という大河が流れてて、この橋はソ連が作ったそう。
その橋を貨物の鉄道が走ってた。
人は通れなくて貨物だけ通れるのかな…
長い橋をてくてくと歩いてくと橋の真ん中あたりで人が集まってた。
ひとりのモロッコ人が足止めされてた。彼もアフガニスタンからウズベキスタンにぬけようとしてるみたい。
ウズベキスタン側のロードパーミッションがないと通れないとのこと。
今から取るのはたいへんだし、聞いてるとそれなりにお金もかかりそう。
私が半分あきらめてたら、そのモロッコ人は国境兵に通らせてくださいってヘラヘラ笑いながら漫才みたいに手を合わせて拝んでた。
なんかみててムカついた。
こういうお調子者はキライだ。
こういう人って自分の損得で相手に媚びる。いっしょにいたら私が損をするのも経験で知ってた。
けっきょく、ふたりでアフガニスタンまで歩いてもどった。
モロッコ人はしゃべりながら動画をとってる。
やっぱりユーチューバーだった…
話しかけても動画をとることに夢中みたい。
真面目に相手をしても損をするだけなのでモロッコ人は置いてきた。
たぶん、ああいう人は自分が置いていかれるなんて夢にも思ってない。自分を特別だと勘違いしてるから。
マザルシャリフにもどるバスが出るのは1時間後。
なんとか明日までにアフガニスタンの国境を越えなくちゃいけない。
新しいルートをみつけなきゃいけなかった。
バス停よこの八百屋でお茶を飲ませてもらいながらノートPCをひろげた。Googlemapをしらべると数10kmほど東にタジキスタンとの国境シルカーンをみつけた。
すごいラッキーかも。
ウズベキスタンはムリでもタジキスタンにはいけるかもしれないし、何よりもすぐ近く。
私が喜んでいると、さっき置いてきたモロッコ人が八百屋の前を通り過ぎた。
彼は怒っててこっちを見ないようにしてた。
マザルシャリフまでもどるバス。
となりの小さな子がめちゃめちゃ可愛いかった。
前の席のお兄さんが、その小さいほっぺたをむにむにしてる…私もむにむにしたかったけど遠慮してた。
バスターミナルでクンドゥースまでのバスを探す。
クンドゥースは大きな街。その北にタジキスタンの国境シルカーンがあった。
バスはないみたい。
乗り合いタクシーで600アフガニもする。
高いなって思った。
でも地図でみるよりも山岳路までは難路みたい。
となりのシートにはめちゃめちゃ真面目そうな医大生がのってた。
大学の講義がおわって休暇で実家に帰るんだって。
ウチに泊まりなよて誘われた。
何度も誘われる。でも、すごい疲れてたのと気を遣いたくなかったから断ってた。
クゥンドゥースの街についたときは、もう真っ暗。
その医大生とふたりで空いてる宿をさがしたけど、どの宿もしまってた。
けっきょく、彼の実家に泊まらせてもらうことになった。
実家は日本の感覚だと豪邸だった。
アフガニスタンの家ってどこもこんな広いのかな?
彼の兄弟全員が医大生だった。すごいエリートな家族でびっくり。
父親は薬局をやってるとか。姉妹もみんな美人だった。
部屋で兄弟姉妹たちとおしゃべりした。
アフガニスタンは英語が通じないことが多いんだけど、みんなペラペラだった。
みんなアメリカよりタリバンの方がいいって言う。
アメリカ兵はアフガニスタンの人にも文化にも敬意がなかったって。
とにかく乱暴だったって。
日本には入ってこない情報が手に入る。とくに中央アジアではアメリカはすごく嫌われてた。
料理もすごく美味しかった。
アフガニスタンの卵とトマトの料理は本当に美味しい。びっくりするくらい美味しい。
今まで安食堂でしか食べてなかったものねって思うと、きっとそれでも満足してた私の旅はすばらしい旅だったんだなって…
そう感じて、おかしかった。
明日、親戚みんなでパーティーをするから来てよ
誘われたけどビザが明日で切れるから断った。
みんなで話してて気がついたら夜中になってた。
ベッドはとっても清潔で、ひさしぶりに英語でずっとおしゃべりしたせいで気持ちが満ちた。
アフガニスタン最後の夜にうれしいサプライズ。
ぐっすり寝れました。