ジャイフーン 11月16日
朝ごはんはトマトと卵をまぜた料理ですごく美味しかった。
兄弟はみんな医大生で英語がぺらぺらで、立派な家だったしエリートなお家なのかも。
アフガニスタンの政治のこととかも話した。
タリバンはアメリカよりはマシだって言う。アメリカはアフガニスタンの文化にまったく敬意がなかったって。
夜にパーティーを開こうと思うんだけど?って言われたけど、ビザが今日で切れるのを伝えて断った。
クルマでお父さんの経営する薬局まで連れてってくれた。
すごい緊張したけど、氏族社会のアフガニスタンでは客人が家長に会うというのは大切なのかもしれない。
お父さんはびっくりするほど温厚な人で青い瞳に柔らかく手をぎゅって握ってくれた。こんな人が父親だったらよかったのにって思った。
タクシー乗り場まで乗せてってもらった。
クンドゥースからタジキスタン国境までは乗り合いタクシーで200アフガニだった。
手をふって別れた。アフガニスタンのラストでとてもいい思い出ができてよかった。
街をぬけて荒涼とした大地は、いつのまにか砂漠になった。
スターウォーズに出てきそうな丸い建物がぽつんぽつんとあったけど、どれも人の気配はしなかった。
あの丸いスターウォーズみたいな建物で砂漠の生活を一週間くらいしてみたいなって思った。
国境の村はひろくて閑散としてた。
いっしょにタクシーに乗ってた人が家で食事しないか?って誘ってくれる。
歩いてヨーロッパにきたバックパッカーの人が、中央アジアのおもてなしは世界一だって言ってたっけ…ホームステイさせてくれたり食事を奢ってもらえたり、ただでのクルマに乗せてくれたりが旅で当たり前だった。
食事を断わって国境まで村を歩いてった。簡単に断る…いつのまにか親切に慣れすぎてるなって思う。
タジキスタンとの国境なのに誰もいない。
パキスタンとアフガニスタン国境はものすごい人だったのに…きっとアフガニスタンの人がタジキスタンのビザを取るのはほとんど不可能なんだと思う。
そして、タジキスタンの人がわざわざアフガニスタンに行くこともないんだろうな。
国境の手前に小さな小屋があって少年がヒマそうに店番をしてる。小さいのに横柄な感じがベテラン感をだしてていい感じ。
両替所はここしか見当たらないのにレートはぼったくりじゃなくて正規のレートだった。
タジキスタン側では両替できないから全額両替した。
コンクリートのちいさな建物でパスポートにスタンプを押してもらった。
200mくらいの長さのコンクリートの橋が大きな川にかかってる。
この川が国境みたい。
橋のとちゅうでコンクリートの壁に肘をついて海みたいな川をみた。他に歩いてる人は誰もいなかった。
蜘蛛の糸が風にのって顔にまとわりついた。いっぱい蜘蛛の糸が飛んでくる。
どっから飛んできたんだろ?
タジキスタン側の荷物チェックは厳しかった。なんか高圧的でイヤな感じ。
首都のドゥシャンベまではATMがないから、タクシーに乗ってけっていわれた。なんか怪しいって感じた。高いんだろうなって思ってたら60$って言われた。
ふっ、高いよw
もちろん乗らないで近くの村まで歩いてくことにした。ヒッチハイクすればいいし。
歩き始めると別のタクシーが30ソモニで国境の街ジャイフーンまで連れてってくれるていう。
それに飛び乗った。
タジキスタンは東欧みたいな景色がひろがってた。
アフガニスタンがごちゃごちゃとした雑踏のアジアだったのに対照的で、静かな田園風景がひろがってた。
道が舗装されてるし、クルマもボロイ日本車からピカピカの欧州車にかわった。
街路樹がならんでる。みんな民族衣装じゃなくてデニムとか洋服を着てる。
内戦が続いてたアフガニスタンと違って、ここはソ連だったからか整備されてるのを感じる。
もしソ連にアフガニスタンが参加してたら、今のアフガニスタンの人たちの生活レベルはもっと高かったかもしれない。
タクシーはジャイフーンの中心で降ろしてくれる。
simカードを手に入れてATMからお金をおろした。ほら、ドゥシャンベじゃなくてもATMあるじゃん…
アフガニスタンにはATMがなかったから、ひさしぶりにお金をおろせてほっとした。
宿はちょっと離れたとこにあったけど、宿というよりホテルって感じ。
たった40ソモニでめちゃめちゃ広い部屋に泊れた。
ヨーロッパの田舎みたいな部屋で、なんと暖房も温水も当たり前にあってふるえる…アフガニスタンやパキスタンでは、その当たり前がなかったから。
一週間くらい住んじゃおうかなw
数か月ぶりに温水のシャワーを浴びた。
たまってた洗濯をする。
窓の外では薪を割ってる農民がみえて、煙があがってる。なんかロシアの農奴の絵画をみてるみたい。
なんだか、紅茶がのみたくなったw