タブリーズ 2月8日

窓の外は何処までも続くイランの荒野。
深夜にヤズドを出発した列車は700km北のテヘランへ向かってた。

明け方に食堂車にきた。ここは誰もいなくて、ひとりになれたから。

車掌さんが優しくしてくれて、コーヒーとか作ってくれる。
欲しいものがあったら何でも言ってだって。

太陽が上がってきて、紫の空がだんだん青に変わっていった。

 

テヘランについたのは昼過ぎ。12時間も乗ってたんだ…
これから、どうしようかな。

駅を出て茫然と立ってた。
テヘランには行きたいとこがいくつかあって、ペルシャの博物館も行きたかったし、宮殿とかも行きたかったし。
でも、なんとなく宿を探したくなかった。
テヘランは巨大な近代都市で物価も高かったから、それを思うとなんか荷物も気も重かった。

駅前で両替して、カウンターで国境のタブリーズまでのチケットを買ってしまう。
ん、これでよかったのかな…この先は国境だよ。
大丈夫、ぜったい戻ってくるから。

発車までは時間があって、駅員の女性にそこに座ってなさいって言われる。時間がきたら教えてくれるから。
ジュースを買ってパンを噛りながらベンチに座ってた。
イランは女性の社会進出が日本より進んでる、大学進学率も女性の方が高かった。
あと、きれいな人がすごく多くて、みんな言葉がはっきりしてて自信がありそう。

時間がきて鉄道に乗ると寝台列車だった。私の席にはイランの家族がいる。
お父さん、お母さん、お婆ちゃんの3人。
あれ?お父さん足を怪我してる?
松葉杖を持ってた。聞いたら仕事中に荷物が崩れ落ちて怪我したみたい。

当たり前のように家族にランチをご馳走になる。
そして私はそうなることを知ってて、何も買ってきていなかった。

この国は歩いてるだけで親切にされる。
うれしくて、そしてそれが重荷に感じることもあったけど。
イランから離れても同じように親切にされるとは限らないね、そしてその時がっかりしたりするんだろう。

 

ときどき1人になりたくて食堂車に行った。
紅葉の始まった山岳地帯を鉄道は走ってる。周りの景色はもう荒野じゃなくなってた。

 

夜、タブリーズの街についた。
安宿のおじいちゃん、う、ぜんぜん値引いてくれない。その態度が毅然としてる。

話してて、あれれ?ってなる。
私、この宿を知ってる気がする…この光景を知ってる気がする…
壁に日本語で「ようこそタブリースへ」って書いてあった。
あ…昔からある有名なバックパッカーの宿だ。

これ日本語だね
その字は最初の日本人客が書いてったんだよ
どのくらい昔?
42年前
そのころ日本人は多かったの?
今より多かったよ
いろんな国の人が来たんでしょ?
世界中だよ、フランス人が多いかな
いいな…、シャワーは有料?
君は、上の部屋のシャワーを好きに使っていいよ
うれしい
30分だけだからね
もしかして旅ノートありますか

40年前、インターネットもない時代に。
遠く日本からイランを旅した人が書いた下手くそな文字。

旅ノートにはいろんな国の言葉で旅の情報が書かれてた。

国境の越え方
近くのおいしい食堂
レートの高い両替ショップ
無意味なあいさつ
ほかの街の安宿

楽しそうな落書きといっしょに、インターネットがない時代の情報が書かれてた。これを読んでいろいろ決めたのかな?国境を越えたり、ある人は南に向かったのかもしれない。

いまはブログやSNSで旅を見てもらえる、肯定してもらえるけど。

どんな気持ちで歩いてたんだろうね。
きっと、昔は、旅が自分ひとりだけのものだったのかも。