トリビシ 2月19日
リビングに行くとおばさんがロシアンティーを作ってくれる。
夏にいっぱいくる観光客のほとんどはロシア人なんだって。ロシアの国境はすぐそこだもんね。
グルジアとロシアは仲が悪いって聞いてたけど、きっとそれは一部の人が仲悪いだけなのかもしれないし。
ほとんどの人はそんなの気にしてないのかもね。
まだ早朝の6時、村はぼんやりとモノトーン色。
歩いてるとよく野良犬がいるけど、ロシア国境沿いの村にはそれが似合ってる気がした。
撫でてみたいけど噛まれたりするかな?
手を近づけったら、なんか唸ってるけど…
話しかけてきたタクシーにあっち行くよーって指さしてあるいてく。
100m先にはトリビシ行きのバスが停まってた。
行きは乗り合いタクシーだったけど、やっぱりバスは安いね。見た目はどっちも白いバンだけどね。
運転手さんは村の人に頼まれた手紙や荷物も積み込んでく。
中央アジアでよくみてきた光景。
私もイランでパスポートを置き忘れたときがあって。その時も100km離れたとなり街から、こうやってバスのドライバーがパスポートを運んでくれた。
日本だとお金を払って宅配便を使うのがふつうだけど。
お互いに顔見知りだから信頼してるんだろうなーって思った。それに、この方法だと宅配便よりずっと速く届くし。
困ったときはお互い様。相互扶助っていうみたい。
他人を信頼することで上手くいくシステムってあるんだなって思った。
行きと違って天気は晴れ。
スケールの大きなコーカサスの山岳地帯を走る軍用道路は噂に聞いてたとおりの景色。
ホントに見れてよかった、きっともう来れないから。
トリビシの街に着いたときはお昼になってた。
中央駅のビルをうろうろ。
どこでチケット買うんだろ?
言われるままにエスカレーターを乗り継いでった。
2階の奥のロビーで整理番号をもらって、ズグディディまでの夜行列車のチケットが買えた。
ズグディディからはバスに乗ってメスティアまで行こうと思ってた。ホントはさっさと南のトルコに行きたかった。
コーカサス地方はひとりだとさみしい。
だから、もう2度と来ない予感がしたから。
ホームの荷物置き場にバックパックを預けた。
身体は軽くなったけど夜行列車まで12時間もあるし、どうやって時間をすごす?
いま着てるダウンジャケットはアウトドア用でめちゃめちゃダサい、雪山で遭難してもヘリがすぐ見つけてくれる鮮やかな赤。
恥ずかしくて地下街を歩いてダウンジャケットを探した。
氷点下40℃にもなるグルジアの冬。ダウンジャケットはどこにでも売ってた。
何着か試着。お店の人も間抜けなアジア人を面白がっていろいろ着せてくる。
けっきょく買えなかった。
トリビシの街並みはヨーロッパみたいですごく旧そう。
ヨーロッパと違うのはかなり建物が傷んでることで、それがいっそう本物っぽい。トリビシは数百年前に栄えてた帝国の古代都市だった、とか?勝手な想像だけど。
だから、写真をいっぱい撮った。
グルジア料理にはシュクメルリがあって、すごいらしい。
せっかくだし食べてみたい。
でもなかなかグルジア料理のお店がみつからない。
歩いてても一人だと入りづらいお店ばかり。
入りづらさを感じてたら憂鬱になってきた。赤信号みたいな真っ赤なダウンジャケットも憂鬱に拍車をかけるし。
やっとひとつのレストランに入ってシュクメルリを頼めた。
40分待って出てきたのはあっついニンニクスープに漬けこまれた鶏肉。
すごい気合というか勢いのある料理だね。しかも量が多くてパーティーみたいだし。
スープのニンニクがすごく濃かった。他の味はあまりしなかった。
まわり見るとみんなもっと簡単な料理食べてるよ…、パンの上の目玉焼きとか…
なんかレストランで目立ってる気がする。
食べてたら猫がやってきたから、鶏肉をいくつかあげた。
レストランの近くに国立新美術館があったんだけど、改装中なのかな?
中はすごく狭いし、作品もなくて悲しかった。
トリビシは山の上のにナリカラって要塞がある。
ナリカラナリカラナリカラ、音の響きが小さいころを思い出す。
みんなロープウェイで登ってるけど、お金がもったいないから路地裏の階段を使って登ってみた。
せまい路地裏では子供たちがサッカーしてた。
上についたら街は真っ暗になってた。
めちゃめちゃ黄金色に輝いてるのは三位一体の正教会だね。やっぱり、教会が街でいちばん大きい。
ナリカラ要塞のなかには崩れそうな階段があったりする。
4世紀に造られたみたいだけど、それってすごく旧いよね。
でも、うっかり火薬庫が爆発しちゃって吹き飛んだって。誰にでもミスはあるよね。
ここから落ちたら怪我するね、気をつけて階段をあがった。
危ないとこに登ってるのは私ともう一人だけ。
奇声上げてるイギリス人だけだったけど…
トリビシの街を駅まで歩いた。
駅のカフェでコーヒーを飲んで深夜までぼーっとしてた。
カフェもひとりひとりと人がいなくなってく。
まだまだ私はいなきゃいけないんだから。みんな、もう少しゆっくりしようよ。いなくならないで欲しいよ。
さっきから、おじさんが床にモップをずっとかけてる。
そして、私だけになった。そして追い出された。
夜行列車の寝台でチェスの学校の先生といっしょになった。
はじめは静かだったけど、
すこし話してたらおしゃべりになった。
微妙に会話がかみ合わなかったけど、チェスの先生だからアタマが良すぎるんだ。
チェス学校なんてあるの?
大会?生徒が参加するの?
チェスってインドから伝わったんだ?
グルジアはチェスが強いの?
なんでこの部屋はこんなに暑いの?